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<<   作成日時 : 2014/12/11 14:04   >>

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昔こんな話がありました。
ある大国の国王が世を捨て一人探究者となって森へ入りました。なぜ世を捨てたかといえば、彼はあらゆる対象(お金・物・人)を手に入れて思い通りにすることが目標でした。
国王になってしばらくしてその願いは叶えられましたが、今度はそれを失いはしないか、裏切らないか、他国から攻められないかと日々不安は募り、今までで最も不安な日々を送っていました。
彼は、「すべてを手に入れたのに、どうしてこれほど不安なのか、幸せになれないのか」と矛盾を感じて世を捨てたのでした。
彼が森の中の樹の下で瞑想していた時、陽が昇るにつれて輝きを増すダイヤモンドが転がっていることに気づきました。
彼はダイヤという対象に心を惹かれ、手に入れたいという強い欲求が生じました。
そこへ一人の男が通りがかりダイヤをみるなり拾い上げ、最高の幸せ感を表現しながら家へと帰りました。
ひと月後、元国王が樹の下で瞑想している時、ダイヤを拾った男が再び現れ、ダイヤを元の場所へ戻してから、彼の横に座って瞑想をはじめました。
彼はこの男に「どうしてダイヤを元に戻しにやってきたのか」問いました。
男といえば顔もからだも痩せこけて言いました。
「ダイヤを手に入れた時は最高に幸せだったが、家に帰ってからこのダイヤが盗まれやしないか、失わないかと心配になり夜もゆっくり眠れない日々が続いてしまい、体調は悪くなり日々不幸せだからだ」と言いました。
そこへ二人の武士らしき男が通り、仲良く話して歩いていましたが、ダイヤをみるなり「わたしが先にみつけたのだ」とお互いに言い争いになり、とうとう剣を戦わせて殺し合いになりました。二人は倒れダイヤはそのままでした。
元国王は再び無益さを悟りました。
対象に対して「こうなってほしい」「これがほしい」といった執着を放棄して主体そのものへ意識を向けました。
主体とは彼自身の内なる静寂そのもののことです。
彼は幾度となくあのダイヤ、つまり対象へ意識が向きました。
その対象についてあれこれ考えますと、ますます対象が強化されて捉われてしまいます。
ものについても、人についても、状況についても同じことです。
彼は古来の覚者たちの言葉を思い出しました。
「みるに値する対象物などない」「考えるに値する対象物などない」、主体にとどまる。
つまり内なる静寂へ意識を合わせ続けることを、くり返しくり返し実践してみました。
数えきれないぐらい向けては、いつの間にか捉われて、気づきへとまた向ける。
のちに彼は外の対象物に心を揺り動かされることが少なくなり悟りへと導かれました。

満たされた感覚や平和な感覚は、外の対象から何かを期待することと反対のことです。
もう既にあなたの本質は満たされています。平和そのものです。
そっと意識を向けて感じ続ければ、ますます深まっていきます。
本当に幸せになりたいのならば外の対象から得ようと期待しないことです。
あなたの本質は究極の幸せ感そのものです。
それは永遠のものです。
そっと意識を本質へ向けて幸せ感を感じてみてください。
始めは何となくしかわからないかもしれませんが日に日に深まっていきます。
やがて、幸せ感そのものがわたしの本質であると悟るでしょう。
外の状況に左右されない静かな幸福感が溢れ出ることでしょう。





ガイドブック『なにもない それ』から著者の了承を得て転載しています。

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