海と空と青 一笑・一照・一祥

アクセスカウンタ

zoom RSS なにもない それ (序文)

<<   作成日時 : 2014/12/12 13:28   >>

トラックバック 0 / コメント 0

−頭を空っぽにして、起こっている問題をあるがままみよ−

これが禅の教えです。
言いかえれば、問題が起こっていても頭を空っぽな状態に近づければ、あれこれ悩まずその問題をあるがままみることは可能であり、覚醒した状態であると言えます。

人生にはいくつもの問題が起こっては消え、また違った問題が起こっては消えていきます。
あなたが10年前に悩んでいた問題と今の問題は同じですか?
大半は問題そのものが変化しています。では、1年前と比べてどうですか?
半分は問題が入れ替わっていますか?
人は問題が起きると、その問題に抵抗し苦しい人生を生きることになります。
抵抗とは、その問題の原因を他者の責任へ、そして自分自身も責めることになります。
あなたがいかに他者についての批判が心の中で多いかを認識したことがありますか。
いかにも自分は正しいのだと言わんばかりに・・・・。
人は苦しさのあまり神や仏を求めます。
問題は生まれては消え、消えては生まれていくのが世の中の一つの法則ですから「神様、問題がやってきても何一つ影響されない静かな心になりますように」とは祈らず、「なぜ問題がやってきたのか」「早く解決するには、どのようにしたらいいか」などに焦点を合わせてしまいます。
問題の原因は、自分自身のカルマであったり、土地の因縁だと言われたり、先祖の供養ができてないと言われたり・・・。
問題が解決するように一心に神や仏に祈ったり・・・・。
全部わかるような気がします、そのような人々をたくさんみました。
わたし自身も経験者の一人だからです。
人によっては、優れた教えの精神世界を探求します。
問題を受け入れよう、相手を許そう、愛そうと思考を使って努力します。
やっと一つの問題が受け入れられることができたかと思うと、次の問題がやってきて悪戦苦闘をして受け入れる努力をしています。
しかし、いつまで経ってもあらゆる問題を超越することができなくて、苦しんでいる精神世界の探究者は山ほどいます。
しかし、覚醒・悟りのプロセスとしては何一つ間違いはありません。
わたしもその一人でした。
熱心な探究者ほど苦しんでいる。
わたしが経験した事実です。
やがて探究者は苦しみゆえに静寂を求め、「わたしとは何者か」の気づきへと移っていきます。
とても美しい移り変わりです。
静寂になろうと努力に努力を重ねてきたが、既に自分の本質は静寂そのものであったことに気づき始めます。
最初は思考での理解だけだったのが体感し始めるのです。
そして、日々少しずつ深まっていくにつれて、疑いのない事実になってきます。
この頃は問題が起こったとしても、少々悩むぐらい、少々考えるぐらい、腹が立っても以前では収まるのに一カ月かかっていたことが一日〜二日で収まったり、いつでもどこでも静寂を感じられるようになっている状態です。従って以前は多くの問題と葛藤していましたが、この頃は必要最低限の問題しかやってこなくなります。
問題は自らの覚醒のために神が用意されたことであるという真実が半分以上理解され始めるからです。
そして以前ほど問題に抵抗しなくなり、悩まなくなっている自分自身に驚くかもしれません。
「できれば、ややこしい問題は起こってほしくないが、必要ならば問題が起こってもOK」と五割以上思えるようになります。
さらに深まれば、問題そのものは肉体の自分が経験していることで、わたしの本質はその問題によって何も影響されていないことを悟ります。
思考のないところであるがまま冷静にみることができるのです。
これが一つの悟りであり、覚醒の状態です。

思いのまま自由に述べたこのガイドブックは、あなたを確実に悟りへと導くことが可能なものです。
あらゆる問題が幻であり、それを超越し至福を体験するといいですよ。
そんなシンプルな発想からこのガイドブックが生まれました。

たくさんのワークショップに参加して自分自身を変えようと試みた。
精神世界のあらゆる本も読んだ。
マインド・感情・ボディーの解放も実践した。
受け入れること、許すことも学んだ。しかし「なぜ?」相変わらず葛藤があるのだろうか、理想的な境地に至らないのだろうか、何か満足しないものがある。
そのような疑問やお持ち方や、悟りの境地を得たいとお望みの方大歓迎です。





ガイドブック『なにもない それ』から著者の了承を得て転載しています。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

なにもない それ (序文) 海と空と青 一笑・一照・一祥/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる